スモン病薬害事件

1960年代の後半に日本国内で異常に多く発生したのがスモン病薬害事件です。
整腸剤でもあるキノホルムを服用した事によって神経障害患者が多数発生してしまったのです。

裁判が増えた

これに伴い、全国各地で裁判が起こされる事になったのです。
キノホルムは戦前から概要消毒薬や赤痢治療薬として国内外で作られていました。
当初の生産量は決して多くなかったものの、戦後になると日本では「整腸剤」として、通常の下痢にまで適応が拡大される事になったがため、多くの人が利用するようになったのです。

そのためか、一日の投与量や投与期間でも制限が緩められていったのです。
そのおかげでキノホルムの国内生産量、さらには輸入量がどんどん増えて言ったものの、それに比例するかのようにスモン患者は増加していく事になったのです。
そして1970年、中央薬事審議会は「キノホルムがスモン発症の何らかの要因になっている可能性は否定できない」と発表。

ここでようやく販売の中止と使用見合わせを答申する事になったのですが、厚生省もそれに従う事になったのです。
結果、1971年以降は患者数が激減。
1972年以降に至ってはスモン患者は4例しか報告されていないのですから、キノホルムの関与は明白なものでした。

国の怠慢

元々キノホルムは消化管から吸収されないため毒性が出にくく安全とされていた一方で、投与量が多いと毒性を危惧するといった事は戦前に既に発表されていたのです。
それでも副作用の事を真剣に考慮するでもなく、安易に劇薬指定を外し、一般的な下痢にまで拡大してしまった事によってスモン患者を大量発生させる事になったしまったのです。

これに伴い全国で裁判が行われ、国と製薬企業の責任が認められる事になったのです。
高度経済成長期だった事もあり、国内に於いて何もかもがいわゆる「イケイケ」な状況でした。
何もかもが調子が良かった時代ですから、このような薬害に関してもかなり曖昧だった部分もあるのでしょう。

それによって本来であれば防げたであろう症状を発生させる事になってしまったのです。
行政としても、安易な規制緩和や変更はこのようなリスクを伴うと知る事になった良いきっかけでもあります。いわゆる拡大期は何をしても成功するような時期でした。

高度経済成長期のおかげで日本は世界の中でも先進国として認知されるようになったのですが、何もかもざる勘定ではならない。
特に医療は繊細に行わなければならないものだという事を行政に知らしめるきっかけとなった出来事と言っても良いでしょう。
その後スモン症がほとんどなくなった事を考えても、行政の対応は早ければ症状を拡散せずに済むのだとも立証する事にもなりました。
根本的な部分での体質は変わらず、結局は後にまだまだ行政過失の医療問題が多々起きる事になります。